『鯖街道』
ここ若狭には京は遠ても、十八里という言葉が残っています。
それだけ京都とのかかわりは深く、身近に感じてきました。
その、若狭小浜と、京を結ぶ道、それが「鯖街道」です。
その道は、単に、鯖などの海の幸を都に運んだだけではありません。
大陸から若狭に伝わった文化を、都へ運び、また、
都からの文化を若狭に招いた道でもありました。
それは、若狭にすぐれた仏教美術が存在することや、
今も受け継がれている、民俗行事などからうかがえます。
鯖街道の起源は極めて古く、
奈良の藤原宮や、平城宮の跡から発掘された、木簡によって
、
千年以上も前から、塩や米、鯛などの魚介が、
若狭から送り届けられていたことがわかっています。
しかし、鯖街道という言葉は、古文書などには一切記録されず、
近年名付けられた名称であると思われます。
では、なぜ「鯖街道]と呼ばれるようになったのか。
それは、一汐した鯖を若狭の行商達が、野や山を越え、
一昼夜かけて、都へ運んだことによって、ちょうどいい塩加減になり、
それが都で、大変珍重されたからといわれています。
そして、鯖を待ち望む、京の人々の気持が、
いつからか「鯖を運んでくる道=「鯖街道」と名付けたのではないでしょうか。
『いくつもの鯖街道』
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現在、鯖街道と呼ばれている道は、いくつか有ります。
最も多く利用された街道が、小浜から上中町熊川を経て朽木谷に入り滋賀県の途中を経由する若狭街道。
また、最短ルートとして、小浜から上根来を通って針畑へ南下する針畑越え。小浜から名田庄村の堀越峠を通る周山街道。
このほかにも今は通行されなくなった、滋賀県や京都府の国境を越える多数の峠道が有ったと知られています。
また、現在は林道として残っている道も有ります。
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『塩の効用』
摂取不足から生じる、食欲不振・無気力感・筋肉けいれん・体力低下など防止します.
『その他の利用法』
塩で全身マツサーシ゛=新陳代謝を活発にします。
(塩枕)= ‥のぽせをおさえ睡眠不足を解消します・
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大昔.ここ若狭にも田塩が栄えた時代がありました。
若狭湾に面した岡津(小浜市)地区には、田塩の遺跡が今も残っています。
そこで作られた塩は、鯖街道を通って、京や奈良に運ば
れていました。それは、当時の木簡(受領書)からうかがえます。
そこでは、広大な土地に海草敷き並べ、海水をそそいでは
乾燥させる作業を繰り返し行う方法や、土器に海水をそそぎ熱する作業を繰り返し行う方法で、塩を作っていたと考えられます.
そのように作られた塩や、岩塩から作られた塩を「天然のあら塩」といいます。
「天然のあら塩」は、食塩の主成分(塩化ナトリウム)だけでなく爽雑物(ニガリ)を適量に含む為、食塩特有の丸味や、コクが生まれます。
しかし、手間もかかり、コストも高い為日常に用いる事が少なくなってきました。
現在よく使われているのは、塩化ナトリウムが99%以上となっています。
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『若狭街道と熊川宿』
鯖街道のメインルートである若狭街道
その拠点として繁栄した熊川が、今年春、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
熊川の本格的な発展は、天正十五年、豊臣秀吉に若狭を与えられた、浅野長吉が自ら熊川を
視察し、軍事上、交通上重要な地域として認め同十七年、諸役免除の判物を発行して、宿駅と
して定め、商家を集め、町奉行を置くなどして小浜で揚がった海の幸などの中継地となったことに始まります。
今も旧街道沿いには、往時をしのぱせる、江戸末期や明治初期の商家や民家が軒を連ねてい
ます。
二階の天井が低い「厨子二階」の造りや、窓に格子のある「虫籠窓」など。また、かぎ形に曲がった通りの「まがり」など、かっての通りの面影を今日に伝えています。
そして、それはこれからも、先祖の遺産として大切に守りつづけられることでしう。
鯖街道については、現在も研究が続けられています。
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